ひきつけられる身体

 

やきもの屋  畑中篤

 

 「あなたもやきもの屋になりたいの?」

 常滑という産地で、ある陶芸家の方に初めてお会いしたとき、彼女が私にした質問である。私はこの質問をされたときの衝撃と、感じたことのない違和感を忘れることができない。やきもの屋・・・? やきもの・・・ってなんだ?

 最近になってようやく私なりに「やきもの」というものを理解し、魅力を感じるようになってきた。いくつかの経験や、人やモノとの衝撃的な出会いによって、そう思えるようになってきたと思っている。

 私は芸術大学で「4陶芸」を学んだ。これは一般的にイメージされる「陶芸」とは少し違うと思う。私が大学で学んだ「陶芸」は、産業を意識したものではなく、あくまでも表現としての分野だった。このとき学んだものが、現在の私にとっての「陶芸」となっている。基本的な技術を学ぶ時間はそこそこで、ほとんどの時間を、与えられたテーマや課題に対してなんらかのかたちを「陶芸作品」として提出するというものだった。陶磁器産業が盛んな土地で生まれ育ったわけでもなく、陶芸家の家系に生まれたわけでもない私にとっては、ビニール袋に入った粘土が「土」という素材であり、火を使うことのない電気の窯で焼成することが「焼く」という行為だった。山から採ってきた土を用途に合わせて調節すること、窯の前で寝ずの番をすることなど、ひとつの「やきもの」が生まれてくる過程の中での苦労や感動などは想像もできなかった。 

 そういう意味で、いい加減な理由で「陶芸」を選択し、スタートしてしまった自分にとって、学生の時につくっていた作品は、「やきもの」ではなかった。「土」はひとつの材料に過ぎず、「焼成」はひとつの方法に過ぎなかった。言い換えれば、ただ目の前に現れてくる「モノ」が「おもしろいもの」であればよかった。「やきもの」としての「おもしろさ」ではなく、ひとつの「モノ」としての「おもしろさ」。つまり、私にとって魅力的な「モノ」であればよかった。
 とにかく、私にとって重要だったのはイメージを形に起こすことであり、「やきもの」であることを楽しんでいたわけではなかった。しかも、あくまでも与えられた課題やテーマに対しての考えや答えであり、湧き出てくるイメージではなかった。結果、私は大学卒業後、環境と、制作をするきっかけになっていた課題やテーマを失い、つくることができなくなった。社会の中で、誰かがテーマや課題をくれるわけでもなかったし、かといって「なにか」をつくりたいとも思えなかった。芸術大学という場所がいかに特殊な場所であったか、そして、社会に出るということがどういうことかをこの時に痛感した。

 

「モノ」をつくるということを離れている間、私は幸運にもある仕事をした。文化財の保存修復機関で、土器を修復するというものだ。博物館や美術館で展示されている土器を解体し、検証し直し、もう一度組み上げ、破片のない部分を樹脂で補うというもので、縄文土器から、埴輪、須恵器など、様々なものを扱った。今では当たり前のようにある機械や道具がない時代の、それらのものに残された時間の痕跡(指跡や叩き文様、表面に施された不思議な文様など)を確認し、触れることができたことは、本当に貴重であり、不思議な体験だった。そして、私はここで衝撃的な出会いをする。暇つぶしに開いた文献だったのだが、そこからぞくぞくと登場する、見たこともない造形の縄文土器である。美術の教科書の一ページ目に掲載されることが多い、いわゆる「火炎土器」と呼ばれるものも含まれていたが、とにかく驚かされた。「美しい」とはこういうことを言うのだろうかと初めて思わされた。とても人の手からうみだされたものとは思えない。実物も実際に目にしたが、正直「心地よい」ものではない。実際それが目の前にある空間に立っていると、少し気分が悪くなるような感覚に陥る。「モノ」が「ある」ことで広がる「空間」というものには学生時代から興味があったが、「ある」どころの話ではない。「空間」を歪ましてしまうのでないかと思うくらいの迫力だった。私にとって「呪術」というものの存在を初めて感じた瞬間だったのかもしれない。これらの土器には感動を含め、色々と語りたいことがあるが、それを書き始めると先に進まないので、これくらいにしておくが、とにかく私は縄文土器や埴輪、須恵器などの「うまい」とか「へたくそ」とか、そういう価値観を超えた「土」の造形の力強さ、そして、「呪術」、「祈りのかたち」というものを身体で感じた。

 

 私はその後、修復という仕事を辞め、再び「モノづくり」を始めることにした。仕事としての「モノづくり」を覗き見たいという理由で私は常滑という産地の、ある陶芸作家の元で勉強をすることにした。そこで衝撃を受けた一言が、冒頭にある「あなたもやきもの屋になりたいの?」という一言だった。「陶芸」や「陶芸家」という言葉しか聞いたことのなかった私にとって、「やきもの」や「やきもの屋」という言葉は不思議で、違和感のある言葉だった。しかし、常滑というところに移り住み、しばらくたった頃には「やきもの」という言葉が定着している理由がなんとなく分かってきた。街の景色としてあちこちに見え隠れする巨大な煙突や、人が生活できそうなくらいの巨大な窯、そして街のいたるところに見られる巨大な甕や土管、家の基礎にすら使われている焼酎瓶など、とにかく街中に「やきもの」があった。常滑という産地は今でこそ急須で有名だが、かつてはその巨大な煙突すべてが煙を噴出していたのだろうし、巨大な甕や土管が慌ただしく運び出されている光景が日常だったのだろうと思う。また、働いていた人々、街の人々にとっては、それらは少なくとも「芸術品」ではなく、生活を支える商品としての「やきもの」に過ぎず、わざわざ学ぶものではなく、叩き込まれるもの、もしくは単なるひとつの仕事だったのかもしれない。そういう意味で、残念ながら衰退してしまった常滑という産地に「やきもの」を学びに来た私のことが、街の人々には不思議でしょうがないといった様子だった。しかし、私にとっては「やきもの」を感じるには十分であったし、それは私が学んだ「陶芸」とは全く違ったものだった。土という素材に対する考え方や扱い方、釉薬(うわぐすり)の選択、窯の焚き方まで、それらは全て「実生活とつながったやきもの」のために試行錯誤されたものであり、「芸術品」をうみだす為のものではなかった。しかし、はっきりとした目的意識によって生み出されたものは時に説得力があり、魅力的だった。

 また、私は常滑という産地だからこそ「やきもの」を身体で感じることができたのだと思っている。常滑という土地から採れる土はいわゆる「食器に向いたきれいな印象の土」ではない。それ故に甕や土管の産地であったのだと思うのだが、「きれい」ではない分、どしりと重い「力強さ」があった。そして、そういう土だからこそ火を通過した後の土の表情が奥深い。とにかく、私は常滑というところで、「わたしにとっての陶芸」ではよく理解できなかった「土を焼く」ことでできる「やきもの」を、いつのまにか魅力的なものとして感じていた。

 私は「モノづくり」という職業上、「モノの力」というものを意識してしまうのだが、「生活のため」であれ、「家族のため」であれ、「友人のため」であれ、思いが込められたもの(それも一種の祈りだと思っている)には「力」があると思う。ある大学の博物館の中で、私はどこかの民族がつくった、ひとつの民芸品に目を奪われたことがある。赤ん坊をおぶう為の籠だったのだが、細かく施された装飾は明らかに何らかの意味をもつ文様で、本当に隅々まで丁寧につくられていた。私は「子供のために」という、国を超えた共通の「祈りのかたち」に何か心温まる「強さ」を感じ、しばらく見つめていたのを覚えている。

 芸術品とされているものを観るときも、そういう感覚で「ふと」足が止まる。有名な誰それとか、有名な作品だとかはあまり意識せず、ぼんやりと作品を眺める。そう多くの出会いはないが、「その時の自分」がすっと吸い込まれるように立ち止まってしまう作品がある。身体がひきつけられるということなのだろうか。そして、そのものの前で、ニヤニヤしていたり眉間にしわを寄せていたりする。そういうものに出会うと嬉しさを感じる。全然見向きもしなかった、興味も沸かなかった作品に対しても、ふとした拍子に同じ体験をしたりする。そういう意味では、いつも同じモノに感動するということではなく、その時の身体の状態によって良くも悪くも感じてしまうのかもしれない。

 

 私は現在、常滑という産地で感じた「やきもの」という価値観と、大学で学んだ「陶芸」という価値観によって、作品をつくり、商品をつくっている。身体がひきつけられるということと関係するのかどうか分からないが、私は幾度か作品や商品を人に見て頂いたり、買って頂いたりしている中で、あることに気付き始めた。出来上がったモノをみて、直感的に「良い」と感じることがある。至ってシンプルな感情だが、ジグソーパズルのピースがピタッとはまった時のような感覚だ。めったにないことだが、そういう感覚がうまれた作品や商品は、観て頂いた方の反応が特別良かったり、結果的に人の手に渡っていくことが非常に多い。逆に、「かたち」としては特に失敗もなく、きちんと姿を現していても、なんとなく首をかしげてしまうものを、それとなく並べておいても、分かりやすく人の反応が悪い。改めて自分自身が、「モノ」を通じて人とコミュニケーションをとっているということを自覚する瞬間だが、同時に、やはりそう簡単に人は振り向いてはくれないとつくづく感じる瞬間でもある。

 そしてもう一つ、不思議な体験がある。同じ土、技法、釉薬で、同じ「モノ」をつくっても、失敗をする時がある。しかも、なにがどうなったのか、全く原因の不明な大失敗だ。しかし、たいていの場合、その瞬間にはっとする。そもそも、その「モノ」に対してどのように向き合っていたか。結果、思い出すのは全く「余裕」がなかったということが多い。気持ちの余裕。時間の余裕。なんとか窯に入れることができただけで、うまくできてほしいという気持ちを持つ余裕がない。そういう時、素材や窯はそれを「お見通し」と言わんばかりにひどい結果を叩きつけてくる。誰のせいでもないその事実を叩きつけられとき、私は、ただただ「すみませんでした」と反省するしかない。

 そういうわけで、私は目に見えない様々な「力」を感じずにはいられない。また、世の中に物が溢れていることを嫌というくらい感じているにもかかわらず、それでも単純に「つくりたい」という感情のまま、今後も「モノ」をうみだそうとしている人間としては、せめてそれらが、ある「力」をもっていてほしいと強く願う。しかし、それを意図してやろうとすることが無謀なことはある程度分かってきたので、そうであるならば、せめて鼻歌交じりに土いじりを楽しみたいものだと、ないものねだりでそれができる人を羨ましく思う今日この頃である。

 

 kappacoolazy

 芸大出身ということだに。そこでは「陶芸」というものをやっていたんだにね。それと「やきもの屋」とは違うというところからのお話だったんだに。 常滑というのは愛知県常滑市のことだにね?

 

 畑中

 そうです。

 

 kappacoolazy

 

「陶芸家」と「やきもの屋」の違い・・・。

実生活とつながったものとしての「やきもの」という感じに聞こえてくるんだにが、それは端的に生活に有用性を持っているものということだにか。つまり、逆にいえば「陶芸」としての「オブジェ」は、無用なものなんだにか。

 

 畑中
 すみません、書き方がまずいのだと思います。どこをどう訂正すればいいのかよく分からないので、とりあえず、その質問に答えてみます。
答えとしては、私はそうは思っていません。

結果的に「ああ、無用なものをつくってしまった、、、」と罪悪感を抱くことはありますが、制作しているときは、「無用」を意識してはつくりません。それが目の前に現われた時に変化する「空間」に興味をもって取り組みます。どんなに小さいものであれ、それがあることで「空間」は変化すると思っています。例えば、道端の雑草が咲かせる小さな花が妙に魅力的な光を放っているように感じてしまうのは私だけでしょうか?そういう小さな「空間」の変化は注意していないと見落としてしまうものですが、それを発見した時、そこにある「空間」を「おもしろい」と感じます。そして、そういう日常で感じた「おもしろい」という感覚を引き出しにしまいながら、それらを基に制作をしていると思っているのですが、私の場合、「陶芸」としての「オブジェ」をつくるとき、また、「やきもの」としての「作品」をつくるとき、その「おもしろい」という感覚を必ずしも有用性(役に立つとか、使えるとか)につなげようという意識では制作しません。それを「有用」であるか「無用」であるかということをそもそもあまり考えていませんが、結果的に「無用」となることがあっても、それ以外は「無用」ではないと思っています。必ず「何か」感じることがあると思います。誰しもが「何かよく分からんけど」ということを体験していると思います。そういうときの「何か」。「何か」好き。「何か」嫌い。「何か」心地よい。「何か」心地悪い。その時の「何か」は決して「無用」なものではなく、「何か」として大事なことなのではないかと思っています。(答えになってるのかな?)

 

 kappacoolazy

 「モノ」が「ある」ことで広がる(歪む)「空間」というのはとても興味深く読んだんだによ。ここでいう「空間」というのは、身体が引きつけられるそういう魅力をもったものであるから、決して「私」が観察している「空間」ではなくて、すでに「私」が入り込んでいる「空間」ということだにね。

 

 畑中

 そうなると思います。


 kappacoolazy
 「土」と「火」による「やきもの」・・・とても原初的なものだと感じるんだに。

 

 畑中

 素材や工程にそういう魅力は感じますね。笑 〆

 

 

 

(禁無断転載)

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