晩ごはん、なに食べる?

 

食品関係の研究者 ふくだいつこ

 
 現在の日本ではほとんどの人が食に困らない。外食産業も盛んだし、スーパーに行ってもコンビニに行っても、いろんな国のいろんな食べ物や食材を買うことができる。自給率がカロリーベースで約4割という点からは、むしろ、外国産の食物を国内産より多く食べていると言っても過言ではないかもしれない。現在の日本は、外国に頼りながらも飽食となった。食べるものに困らなくなって、食品に従来求めてきた栄養やおいしさとは別に、新たな機能―健康の維持や向上に関与する生体調節機能―を近年では食品に求めるようになっている。
 食べるものに困らなくなった半面、戦後の食生活の欧米化や過食、運動不足が原因で、肥満や高血糖となる人が増えている。このような生活習慣病に対して、病気になった場合には、医師により適切な医薬品が処方されるが、その前段階である予備軍の場合には、自分で生活習慣を改めるよりほかない。過食と運動不足が原因であるときは、単純に食べる量を減らす、運動する機会を増やすといった至極当然な対処をすればいいところだが、毎日残業で夕食は遅めに取らざるを得ない、忙しくてウォーキングする暇さえない、いや、運動なんて面倒でできないという人が大半だろう。そこで、簡単に取り入れられる対処法として、生体調節機能をもつ食品の登場である。

最近お腹周りが気になり出した人に…、いつまでも若々しくありたい人に…、我慢しないで食べたい人に…、等々さまざまなキャッチフレーズで、いかにも効きそうなサプリメントが広告やテレビCMに毎日出ている。もちろん、これらのヘルスクレームは商品には書けないことになっているので、広告やCMでも必ず、「個人の感想であり、効能・効果を保証するものではない」旨の但し書きが小さい文字でついている。その機能性がきちんと科学的に証明されており、国が効能を承認している特定保健用食品は、ヘルスクレームをはじめ、消費者がどの程度摂取すれば効果が期待できるか等も製品に表示されているが、そうでないいわゆる健康食品は、科学的な証拠や安全性が十分確認されていないものもある。もともと食品だったものを多少加工しているぐらいだから安全だろう、という感覚をお持ちの方が大半かもしれないが、何事も過ぎたるは毒と思った方がいい。ただ、身近な食品は、これまでの食経験からこの程度なら食べても悪影響はない、と分かっているだけで、例えば塩や砂糖でも多量に摂取すれば死に至る可能性もある。

 最近お腹周りが気になり出した人に…、いつまでも若々しくありたい人に…、我慢しないで食べたい人に…、等々さまざまなキャッチフレーズで、いかにも効きそうなサプリメントが広告やテレビCMに毎日出ている。もちろん、これらのヘルスクレームは商品には書けないことになっているので、広告やCMでも必ず、「個人の感想であり、効能・効果を保証するものではない」旨の但し書きが小さい文字でついている。その機能性がきちんと科学的に証明されており、国が効能を承認している特定保健用食品は、ヘルスクレームをはじめ、消費者がどの程度摂取すれば効果が期待できるか等も製品に表示されているが、そうでないいわゆる健康食品は、科学的な証拠や安全性が十分確認されていないものもある。もともと食品だったものを多少加工しているぐらいだから安全だろう、という感覚をお持ちの方が大半かもしれないが、何事も過ぎたるは毒と思った方がいい。ただ、身近な食品は、これまでの食経験からこの程度なら食べても悪影響はない、と分かっているだけで、例えば塩や砂糖でも多量に摂取すれば死に至る可能性もある。
 現在の食卓は、製造現場からとても離れたところにある。どこの現場でどのように収穫され、加工されて食卓まで運ばれているのか、分かりにくい商品も多い。何を食べるのか、消費者の選択範囲は広がる一方で、選ばされるのではなく、じっくり考えて選ぶ能力を身につけなければならない時代になっている。

 kappacoolazy

 ふくだしゃんは現在、育児休暇ということを聞いているだによ。出産されるまではどういう研究をされていたんだにか。

 ふくだ

 産休・育休前までは、食品素材の新たな機能性や安全性を検証する研究をしていました。例えば、この食品素材は肥満を予防するのか、たくさん食べても問題ないか、その基礎的なデータを得るために培養細胞や実験動物を使って実験するなどです。

 kappacoolazy

 生体調節機能をもつ食品というのは、特定保健用食品とそうでないものとに分けられているんだにね。特定保健用食品というのは科学的な根拠を与えられているということなんだにが、どういう過程を経て証明されているんだにか。

 ふくだ

まずは、培養細胞や実験動物を使用した実験で有効性や安全性が検証され、さらに、ヒト試験で有効性と安全性が検証されます。有効成分とその作用機構が解明されていることも重要ポイントです。 

 kappacoolazy

 一般的には「人間のからだ」は、、、ということで、すんなりと「生体機能」的なところ、もっと簡単に言うなら機械的なイメージのところへ移ってしまうんだけど、福田しゃんは「人間のからだ」っていうものを、研究をしていた時期とか、その後出産し育児をしている現在との違いというか、、、どう考えるだにか?

 ふくだ

 人間のからだは、スゴイですよ!いや、生命そのものが感動モノだと思います。妊娠を診断された時は全く実感がなかったのですが、だんだんと大きくなるお腹と胎動で自分とは異なる何かが自分のからだの中にあることを実感し、出産して、、、それは自分のからだとは違う人間のからだであることを認識しました。その新しい人間のからだは、すさまじい勢いで成長しているのですが、生後5か月ほどまではミルクだけで大きくなります。神秘というか、不思議というか、出産と育児を通して見た人間のからだに機械的なイメージはないです。一方で、臓器提供のニュースを見れば自分のからだも材料になるんだなと思ってみたり、研究の話になると客観的なデータに基づいて議論したりと、出産前と同じように考えるからだもあります。

 kappacoolazy
 僕は、心と生体機能を完全に分けたままでいると心身症になりそうだによ。「頑張れ頑張れ」って言い続けてると、結局没頭出来ずに・・・笑

 分子レベルにおいて生体機能を考えるっていうのは、今となっては当たり前なんだけど、よくよく考えてみると狂気な世界?

 ふくだ

 ???なんとお答えすればよいか・・・薬にもプラセボ効果というのがあります。ある症状とは関連のない薬でも、これで治ると思いこんで飲めば症状を軽減する効果が出るというものです。でもやはり、客観的に薬や食べ物の効果や効能を証明するには、心と生体機能とを切り離して、生体機能のみを対象にした実験の客観的データに基づいた議論が重要となります。客観的データにするには、評価するものを数値化して統計学的に取り扱う必要があります。逆に言うと、数値化できないものについては、私たちの研究分野では評価対象になり得ないですね。データを心で見る主観性は、排除しなければなりませんから・・・。これは、狂気の世界でしょうか???


 kappacoolazy
 狂気・・・といっちゃうと、ちょっと言い過ぎかな?(笑) 

 理性の志向性(本性)といえばいいのかな。ある種の論理の階段を登っていくと、単純な三段論法って成立すると思うんだによ。それはとても危なっかしい。例えば、数値化できないものについては評価対象にできない・・・というところが、とても危なっかしくみえてしまうんだに。数値化できてしまったものが踏み台で、数値化されなかったものが踏み台の隙間みたいな・・・(笑)。当然、その隙間は可能な限り埋め尽くされるんだろうけど、どこまでいっても埋まらない隙間があって・・・。実験で検証できるということは、ほぼ隙間はないと言っても過言ではないとはおもうんだけど。。。

 福田

 なんだか誘導尋問されているような気がしますが(笑)、実験で得られるデータにはいろいろなものがあります。大概は、複数回の実験において数値として得られたデータを統計学的に処理して、信頼性があるか、有意性があるか分析します。そのほかに、形態や色の変化などもありますが、どのようなデータを取るにしても、そこに隙間はあるでしょうね。そもそも、論文等で発表される実験は、いつ誰がどこで行っても再現性があるべきものですが、条件が限定されている中で行いますので、そこで得られたデータから普遍性を見出すことはある意味隙間だらけと言わざるを得ません。その隙間を埋めるために、過去に発表された論文を引用したり、論述をうまく展開したりと努力するわけです。とことん行けば、条件がほんの少しだけ違うような、重箱の隅をつつくような研究もあり得ます。そんな研究はナンセンスと思われるかもしれませんが、知識の集積のうちの一つと捉えてもいいのでは、と思っています。

 kappacoolazy

 誘導尋問(ハッ、気付かれただによ)・・・そうなんだによ。河童は汀に人を誘い込むだによぉぉぉ。笑。誘い方が下手だから気付かれてしまっただにね。これじゃ諦めるしかないだにね。。。笑 〆

 

(禁無断転載)

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